· 

第71代引退挨拶⑤岡崎文哉

いつもお世話になっております。令和元年度入学の岡崎文哉です。

ついに引退ブログを書く日がやってきました。今の気持ちを率直に書くと、本当に最後までやりきったというのが1番です。なぜこれが1番なのか。それは自分が1年生のときの当時の4年生の先輩が引退の際に、「続けることが大事」と言われたのがずっと自分の中に残っていて、この4年の間で結果を出せずにいても、途中で投げだすということはしたくなくて、ここまでやってきたからでした。


先日行われた琵琶湖での全日本インカレでは、自分に求められる30番代〜40番代を毎レース取り続けるという役割を果たすことができませんでした。結果を見るにがっかりされるものだということは百も承知です。しかし本当に全力で闘ったんだということも紛れもない事実です。最後まで諦めませんでした。最終日の前夜、総合10位が現実的に不可能な成績を踏まえて行われた470チームのミーティング。内容は残り2レースの配艇について。それまで行われた8レースで役割を果たせたのは1レースのみ。結果を出し続けられなかった責任を追求されました。次の代に向けて後輩を出してあげたいという意見に対して、自分はその意見を理解しつつも最後のワガママを言いました。「最後まで出させてほしい。」と。議論の末、最終日の1レース目の自分の得点が33位を下回ったら即交代するという条件付きで出させてくれることになりました。結果的に最終日は風がなく、不安定で、風待ちの末レースは行われませんでした。もしレースが行われていたら、本気で条件をクリアしていたと思えるくらいの心持ちでした。最終日までたくさんのOBさんたちが来てくれました。改めてたくさんの応援をありがとうございました。


今までの4年間のヨット部生活を振り返ってみて思うことは、全然あっという間なんかではなかったということでした。1年生のときはチャッカーの上で見ることがほとんどでした。2年生のときにやっと乗り始めたと思ったらコロナ禍に突入しました。練習が制限され、大会や遠征がかなり減りました。自粛期間は山に行ったり、家で筋トレしたり。練習が再開してもヨットが本当にわからなくて怒られてばかり。3年生のときにはレースで結果を出せた記憶すらありません。しかし、こうやったら船が速く走るんだといった感覚はじっくり蓄積していました。そして4年生になって、迎えた中国インカレ。どうやっても走る気しかしないというハイな状態になっていました。個人でも1位を取れたということが初めてですごく嬉しかったのを覚えています。そして全日本インカレを迎えました。合宿を含めた最後の10日間が1番長く感じました。最終日の着艇後、4年間、時間もお金も使い果たしたヨット人生がやっと終わったんだと心から思いました。もしかしたら読んでいて不快な文章を書いてきてしまったのかもしれません。美談とか綺麗事ではなく本心を書こうと思い書いてきました。気に障ってしまったら申し訳ありません。文章では書ききれないほど多くの出来事を経験してきました。喜怒哀楽のすべてです。あっという間なんかではなく、濃密な時間を過ごすことができたと思います。


ヨット部を引退してOBとなるわけですが、技術面などのアドバイスは院に行くメンバーに任せたいと思います。今後広大ヨット部が全日本インカレで目標を達成するのに自分が後輩に伝えられることははっきり言って今は思いつきません。ないかもしれません。全日本インカレで結果を出せなかったからです。

自分は大学を卒業したら企業に就職し、ディンギーのヨットに乗ることはもうありません。しかしヨット部での全てを通して学んださまざまなことを今後の人生に活かしていきたいと思います。この4年間で何を得たのかまだ正直わかっていませんが、きっと部活をしていなかった世界線の4年間を過ごした自分より大きな何かを得たはずです。


最後になりますが、今まで出会ったすべてのヨット関係者の皆様のご支援に感謝を申し上げます。結果で恩返しできなかったこと申し訳ありませんでした。これからのヨット部もどうぞよろしくお願い致します。4年間本当にお世話になりました。


岡崎文哉



広島大学体育会ヨット部

観音マリーナ

広島県広島市西区観音新町4丁目2374-86